2020年と中居正広さんと
社会人2年目、今年の2月下旬、仕事に行き詰まっていた私が駅のテレビで観たのは中居正広さんがジャニーズ事務所を退所する、という速報だった。
中居くんもついに退所かーなんて思ったような気がするけど、私は中居正広さんのことをあまり知らなかった。
私が知っていた中居さんは、
SMAPのリーダー
MCのプロフェッショナルで「ナカイの窓」とか面白い番組を持っている
ダンスがとても上手いし一瞬で覚えられる
ハットがトレードマーク
七分丈のジャケットを捲った腕のフォルムがワイルド
仲間思いの兄貴分
ファンサが神らしい
お顔が好み
推しがブラバラに出演時、推しの魔法に固まって冷や汗をかいていたが基本的に優しかった←
そして一番は、中居くんがどこかで歌った夜空のムコウがとても好きだった。
SMAPの番組やパフォーマンスは殆ど観たことがなかった。
あの年の中居さんの周りのこともよく知らなかった。
週末の推しのライブを断念して急に時間が出来た私が、中居さんの退所会見を見ようと思ったのは本当に偶然だった。
一番最初に観たのは「中居正広のニュースな会」。
改めてお顔をじっくりと見て、フラッシュの点滅にご注意下さいでふふっとなり、自身の存在自体をエンタメに昇華するように会見を仕切っていく姿に流石だなと思っていた筈なのに。
自分で決めた事務所名を言い渋り、言ったら言ったでガチ照れする中居さんに畏多くも可愛いという感情抱いてしまった頃にはもう転がり落ちていた。
そこからは我ながら本当に早かった。
退所会見の動画をリピートするのでは飽き足らず、中居さんの番組やSMAPの動画を漁ったり、ライブやドラマのDVDを買ったりした。中居さんが退所される頃にはすっかり中居面になっていたのだった。
中居さんの退所会見は、私に自ら行動して環境は自分で整えないといけないという意識を持たせてくれた。結果、私は当時よりも穏やかに生活することが出来ている。
凄いなぁ、と思う人がいてもなかなか自分の考えや行動と結びつかなかった私は、初めて中居さんのような人間になりたいと思った。
私が生きている間中居さんはずっといたのだから、今よりも迷える子供だった時代に会えたらどんなに良かっただろうと思ったけれど、後ろ向いても戻れる訳じゃない。あの頃は目の前を生きることで忙しかったよ、と言ってくれた旧友に、死ぬ前に出会えたんだから誤差の範囲内とか訳の分からない負け惜しみを笑って貰った。
今年は中居さんの番組を殆ど観ていたように思う。
大学時代以来の趣味が出来なかった今年は、確実に日々の楽しみを中居さんから頂いていた。
自分が話題の中心になった時の困ったような照れ笑いに惹かれて、年齢に抗おうとせず自然を受け入れる姿にキュンキュンしてしまい、行動に対して葛藤を抱えつつも熟考して自分の解を導いている姿を尊敬し、ラジオでの落ち着いた話し声に癒されて、と感情が忙しかった。中居さんが言う全盛期に、5万人の中にいたあの子たちではない、こんな周回遅れの奴もおりました。
番組を通して、中居さんは知れば知るほど奥が深い方で、私が考えの至らないようなことまで沢山のことを考えていることが分かった。
影響力のある芸能人としての考え方に納得すると同時に、一人の人間としての考え方は触れる度に自分の行動を顧みるきっかけとなって気後れすることも多くあった。
私は中居さんの歌声が一番好きな歌声だ。
歌に魅了された私はまたいつか歌って欲しいなんて気持ちもあったりするけど、中居さんの今迄の思いを知る程に、それは自分の中にしまっておくことにした。
中居さんが今やりたい事が見つかって、それが環境と噛み合って少しずつでも実現していって欲しい。中居さんの笑顔が見たい。
中居さんのファンの子からの、幸せでいて欲しいという思いを伝えて下さった古市さんに、中居さんは幸せでいることが幸せなんですか、と仰った。
これは私には結構な衝撃で、私は自分の幸せ、生き方なんかを延々と考えてしまって苦しくなった。
そんな過程を経て、私はやっぱり中居さんに幸せでいて欲しいと思う。
日々実感することではないのかも知れないけど、幸せに結びつくような瞬間が多くありますようにと願っている。
2020年は、たくさん本当にありがとうございました。
2021年も、表でしっかり中居面をします。よろしくお願い致します。
幼い頃、私にとってテレビは刺激が強すぎて見ることが出来なかったらしい。
小学生になっても芸能界という世界があることは認識しつつも自分の生活にはいまいち結びつかずに過ごしていたし、成長してもテレビを観るという習慣はなかった。
そんな私が2020年に中居さんに出会うことが出来たのは、中居さんが変わらず人との繋がりを大切にしていて、ずっとテレビで活躍されているからなのだろう。